二期会会員であったソプラノ歌手でもあり、素晴らしいヴォイストレーナー(ヴィクターの合唱団の指導なども長年されていた)でもあった榎本玲子師。
私は、師匠の唯一の後継者です。
師匠には芸大一年生の時期に出会い、私が舞台に入り、
また、結婚、二人目を出産する前まで約11年間、育てていただきました。
何故、育てていただいているのに、ピリオドがその頃来てしまったのかというと、師匠がお倒れになり、植物状態に入られたからです。
師匠は、高崎市にあった旧佐藤病院のお嬢さんで、(今の産婦人科の佐藤病院は、遠いご親戚。本家筋は、佐藤小児科とお聞きしています)しつけの厳しいお家だったこと、女性が音大など!と大先生のお父様が、反対され、音大にも進めなかったこと。
群馬のみなさんもご存じの通り、大先生は、産婦人科の名医であったとのことですね。
音大に行けなかったけれど、個人レッスンに通い、いきなり、ラジオのコンクールで優勝してしまい、中山悌一先生のお声かけにより、いきなり、二期会の会員になられてしまった、という伝説の方です。
師匠は、観音様の様に、いつでもあたたかく、また厳しく(お顔も観音様の様でした)60を超えてから出会っているのですが、チャーミングなリリコレッジェーロの素晴らしいお声。
ベルカントの発声法は、横隔膜の使い方や、呼吸法、足の爪先から頭のてっぺんまでの全ての体の使い方の技術です。
お倒れになる前の発表会。
「彼女は、私の後継者です。」と、私をステージ上でお話しされました。
師匠は、「私は何人ものお弟子さんを育ててきたけれど、私の技術を全て受け継いでくれたのは、あなたしかいない。あなたは、本物のヴォイストレーナーです。」と私におっしゃいました。
私は、師匠の意志と愛、誇り、いただいた全てに感謝しながら、今日も音楽を伝えます。
私の声の産みの親。
榎本玲子師。
感謝しています。