ー記憶は曖昧なものー
今、桐朋で学生の時に弾いたリストの作品を練習していて。
題名を聞いて、それはやったことがあるのでは?と思いながら新しい楽譜を購入して指を動かしてみると、ああ、やはりやったと思う、とわかり。
もう一曲はやったことないわ、と思って譜面見ながらさらってみて、、、???
数日経って全体が弾けるようになった時に、ああ!これもやったわ!と、指が動いて体が知っているのをようやく思い出しながら、
そういう自分に笑ってしまった!😆
18、19才で弾いた曲。
びっくりする位に忘れてる。
今日もレッスンで、
「これは弾かれた曲ですね、型が入ってます」と先生におっしゃっていただいて、
やっぱりそうだった、と確信を持つ。
こんなに忘れてるなんて、あの時のことを思い出すと、どれほど必死だったことか!
毎日往復5時間の電車の通学、ピアノも声楽もと、真に休む暇なく通いきったあの頃。
教員免許も取って、唯一の休みの日曜日も生徒さんを教えたり、様々のアルバイトもして。
その頃の門下の先生は高尾山近くにお住まいで、学校の後にレッスンに伺って、終電で埼玉まで帰ってくる…そんな生活。
学校の空き時間には桐朋のある仙川のファーストフードでも働いたり、色んな仕事もして。
うちの両親は絶対に友人宅でも泊まりは許さなかった。
本当に帰ることができなくて、友人宅に泊めてもらった時も、
「もう家に帰ってくるな!」と、父に怒鳴られ、どうしようもなかった。
だから、藝大に入って20歳で上石神井の藝大寮に入った時も、父に
「お前なんか勘当だ!二度と家に顔を見せるな!」と言われながら、私は家を出た。
それが私のアル中の父母。
今までもこれからも私は最高のガッツで生きてゆく。
でもそれで鍛えられて今の私があるのは事実、そのDVの毎日のおかげです。
(げんこつや平手打ちの暴力はもとより、夜に必死に話しさせられした約束も翌朝にはすっかり忘れられているのは当たり前に毎度のこと。でも私はくじけなかったし、諦めなかった!)
必死だったあの時この時のこと、忘れてるものなんですよ。
それくらい脳はランダムに出来ている。
だから書き留めておくことも大事です。
体験したことはもちろん体が覚えています。
脳は忘れても体は覚えてる。
リストを弾いていて日々確認しています。
※毎日思い出してくるの!
音楽って素晴らしい!
そしてもう、あの時の弾き方じゃない私がここにいて、この2曲もどうやら思ったものに仕上げてゆくことができるんだな、と感じている、、、。
30年以上経って、少しでも進歩してゆけるとは、何と楽しいこと!
自分のことは自分でしか解決はできない。
道具やヒントや手助けはもちろん必要だけれど、自分が真に取り組んで超えなきゃ絶対掴めない。
ガッツは本当に大切です。
やってこそわかる、
それが本当の財産ですね(^_-)♪
今、私に本当のことを言ってくれて、より良くなるために身を粉にして教えてくださる先生に心から感謝しています。
皆さんもご自分のためにどうぞ通われてください。手抜き無く、引き出すお手伝いを私もします。