ー予測と下準備とその時の対処ー
何事も、
最終的には、その瞬間、その時、
の、対処の在り方が重要なのは言うまでもないこと。
どれだけ、そこを想定して対処を決めようとしたとしても、実際には、人間の浅知恵であることは間違いないことではあるけれど、
それに対して出来うる限りの想定と準備とシュミレーションをして行動していることは全くの無駄ではない。
それであっても、実際の崩壊は、自分の情けなさとちっぽけさを痛いほど知るわけではあるけれど、そうして奇跡的に生きているということを知ることが人間として生きる醍醐味でもあると私も思う。
先祖の様々の生き様は全てが勉強の材料であり、それらが濃く、今生きる我々の中、表に反映されていて、そこをしっかり消し去ることが、真の供養へと直結している。
いいものもよくないものも中に混在していて、ただ、命をつないでくれてありがとう、だけで済まされる、そんな単純な仕組みではないのが、私たちの「生きる」課題にもなっているという事実。
お盆やらお彼岸やら、
その集合想念の時期は、それらに気づける時であり、自分の掃除のチャンスでもある。
自分で手をかけてゆくこと
その中身で、子孫繁栄、鎮魂にも直結する。
人の命は必ず終わりが来る。
直ぐなのか後なのかの違いはあっても、同じく産まれたら人は必ず死ぬ。
残暑と台風の中ですが、
しっかりお掃除いたしましょう。
お空のお父さんお母さんもありがとう、というかもしれないし、そうじゃないかもしれないけどね(笑)
柏屋の薄皮饅頭
緑茶に合います(^^)