ー調律師の力ー
弾く方と同じく、
調律師の腕はダイレクトに楽器に反映される。
愛情だけでもその音は出てこないし、
それぞれのピアノの構造も歴史も知り尽くしていて、向こう(海外)の音を知っていて、この日本のこの環境のこの楽器で、その作曲家の音楽を弾いてその響きを目指すことができて、時間が経過して狂ってきても美しく狂うことができるかどうかまで。
湿気や温度、その他の用件も皆、憶測がついた(甘い見立てでなく)ものであるかどうか。
最終的には美しくできたか
それは調整した「ヘルツを合わせた正しい周波数」では無い。
いわゆるのf分の1でも無い。
外に放出された「心地よい音」である。
「心地よい」は、どれほどの奥深さなのか、それは上には上があって、極限を目指す真の音の世界。
日本の建物、響き、空気の事情じゃわからないのは仕方が無いことですが、
音の判断は目の前ではありません。
離れた所の響きで音を作るのは完全に必須な基本。
声楽ももちろんそうなのです。
そうでないと、
モーツァルトはモーツァルトにならないし、ヴェルディもワーグナーもベッリーニも「その音楽」として表現されません。
体から離れた「そこ」で音楽をするのは、
しっかりしたメソッドとトレーニングが必要です。
そばなりの声と本物の声とでは、
密度もエネルギーも浸透も子供と大人の差があります。
そのための耳を育てられるかどうか、怠惰や楽でなく、本当の精進をして、その爪の先をやろうと死ぬまでできるかどうか。
全てに通じる「人生」と密接なこと。
ポピュラーとクラシックは違います。
クラシックの本当の凄さと知られざる驚愕の事実を垣間見たとき、クラシックをやらずしての後悔は先に立たず、と言ったところでしょうか。
私のピアノもまた素晴らしい調律師さんの手入れによって、蘇りました。
もちろん、ガタガタのどんなピアノでも、よい演奏をよい音を出せるように弾く努力を重ねることですが、
調律師の力は、やはり偉大。
やっぱり、「人」ですね~(^^)