〜一流であること〜
つくづく私自身も振り返りながら
うやむやにしたり妥協で甘さの仕事をしたり
どこにその「大切なこと」の要素があるのか、
日々気付かされ努力の足りなさ未熟さを感じるか、というと、それはやはり、「スピリットへの敬服と感謝、敬意」の一言にあると思う。
ピアノであれば、例えば、作曲したリスト自身がどう言ったか、何故その音でなければならないのか、死んだ人だから大体で浅い自分の知識や技術で作品を演奏してしまうのは、如何に愚かなことなのか、ということであろう。
いくら世界的な賞をいくつもとられていたとしても、だからといってその要素もしっかり土台があるかどうかはいつも比例していないこともわからなければならないこと。
お勉強しつづけていること。
どれ程それらにも忠実で敬服しているのか、
だから巨匠や大家、一流なのであって、
その要素無いものは、所謂、小者、なんですね。
レッスンの最中もベートーヴェンはこんな状況にあったからこんな風に音を並べていると、文献にも本人の注意書きで書かれている等、さらりと当たり前に言葉を発され、その音を寸分の狂いなく必ず!「その音」を出され、指導される。
目の前で「本物」を見られる喜びは自分の深いスピリットとも共鳴する。
死んで終わりでないことを真に理解できているかどうか。
私も亡くなられた師匠たち、今まで教えて下さった先生方、皆さんがいつも私の音や表現を見ている視線を忘れずいようと思うし、大家の作曲家の命がけの作品をこのようにしか弾けない自分の不甲斐なさ勉強の足りなさを身に沁みながらひとつでも!と思い、音楽に取り組む努力をしたいと思う。
これは思想とか宗教とか、
そういうものとも関係ない、
ひとえに「人として」だと、
実感する。
今日も自分の足りなさ未熟さ不勉強…
色々な素の自分の姿を自分で確認しながら
今日今、やるべきことをやろうと思う。
世界が乱れ、あってはならない常識が流行り、自分を見失い彷徨う沢山を見る今だからこそ、
「人として」見失わず本道をゆく。
ですね^_^