〜音の密度〜
今更ながら、、、
私が一番伝えたいのは「音の密度」である
ということだと今日も確認している。
体験していない音を言葉で伝えることはどうしても叶わないことなど、十々わかっている。
だけど、あまりにも情けない時はある。
伝わらないことの悲しさは言い様の無いさびしさで、その素晴らしさが伝えられないことに命の儚さをも感じる時がままある。
仕方が無いけれど、諦めはしない。
それがかけらでも伝わった時、
その人が一歩、キラリと光り出し、
美しい進化がなされるから。
だから私は諦めない。
自分もそうして
先生方に育ててもらったから。
今日も私は私の体の中に入っている
「その音」
を伝えるために懸命にやる。
ただ
それだけ。
私が小さい時から乗っていたブランコ
今は向きが変わったのだけれど、
昔は、ブランコに乗ると、目の前にあの高い木が見えて、毎晩の様に、私は絶対くじけず生きるとその木に向かって約束していた。
その木はうんと太くなってて先日、
私を迎えてくれたのね。
夏休みはこの場所で朝はラジオ体操
ここには食べられる野草も何種類かあったので、
よく摘んできて調理して食べたな。
ヨモギ、ツクシ、ノビル、ヘビイチゴ、ナズナ、、、
サルビアの赤い花は甘くて美味しかった。
密度の薄いものは娯楽
意味が無いわけじゃないけれど、
角度はどんどん差が開いてしまう。
そうすると結局、
散るだけになる。
体も見てくれも、
密度が重要なポイントです。
若いうちは細胞がまだわかりにくいかもしれないけれど、50も過ぎたら余計にわかるもの。
効率的な正しい努力をしましょう。
結果は明らかで、それこそが「愛」だから。
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