top of page
2023年5月26日
ー調律師の力ー 弾く方と同じく、 調律師の腕はダイレクトに楽器に反映される。 愛情だけでもその音は出てこないし、 それぞれのピアノの構造も歴史も知り尽くしていて、向こう(海外)の音を知っていて、この日本のこの環境のこの楽器で、その作曲家の音楽を弾いてその響きを目指すことができて、時間が経過して狂ってきても美しく狂うことができるかどうかまで。 湿気や温度、その他の用件も皆、憶測がついた(甘い見立てでなく)ものであるかどうか。 最終的には美しくできたか それは調整した「ヘルツを合わせた正しい周波数」では無い。 いわゆるのf分の1でも無い。 外に放出された「心地よい音」である。 「心地よい」は、どれほどの奥深さなのか、それは上には上があって、極限を目指す真の音の世界。 日本の建物、響き、空気の事情じゃわからないのは仕方が無いことですが、 音の判断は目の前ではありません。 離れた所の響きで音を作るのは完全に必須な基本。 声楽ももちろんそうなのです。 そうでないと、 モーツァルトはモーツァルトにならないし、ヴェルディもワーグナーもベッリーニも「その音楽」として表現されません。 体から離れた「そこ」で音楽をするのは、 しっかりしたメソッドとトレーニングが必要です。 そばなりの声と本物の声とでは、 密度もエネルギーも浸透も子供と大人の差があります。 そのための耳を育てられるかどうか、怠惰や楽でなく、本当の精進をして、その爪の先をやろうと死ぬまでできるかどうか。 全てに通じる「人生」と密接なこと。 ポピュラーとクラシックは違います。 クラシックの本当の凄さと知られざる驚愕の事実を垣間見たとき、クラシックをやらずしての後悔は先に立たず、と言ったところでしょうか。 私のピアノもまた素晴らしい調律師さんの手入れによって、蘇りました。 もちろん、ガタガタのどんなピアノでも、よい演奏をよい音を出せるように弾く努力を重ねることですが、 調律師の力は、やはり偉大。 やっぱり、「人」ですね~(^^)
2023年5月23日
ー蓮の花は泥の中で咲くー 澄んだ清水の中でなく、 蓮の花は栄養も何もかもたっぷり詰まった泥の中で美しい花を咲かせます。 私たちも同じ。 どれほどの困難な人生の地獄の中でも、 自らが光となって泥を本物の栄養に転換して、成長し、花を咲かせてゆくんです。 東京大空襲の焼け野原で生き抜いた私の父からも、毎日、教わったことです。 人間の生きる力。 父の口癖も「やるんならとことんまでやれ」「お前は幸せだ。食べ物があって食べられるんだから」 私は今日、あったかい布団で寝られて、美味しく食事もいただけて、ましてやピアノがあってそれを弾くことができる。 どれほど幸せなことかと思う。 ハーモニカも歌もボーイソプラノでとても上手だった父。 暗算も日本一、そろばんは日本で2番。 (都知事からの賞状がありました) 焼け野原の何もない東京で、来るのは米軍の兵隊たち。そこで歌って、お前は上手いな、と言われて食べ物をもらって。 いつもお腹がすいていて、どうやって生きてきたかわからないが、俺達は親がいたからまだましだった、と。 泣きながら酔っ払って、本当の命の話しを毎晩のように語る父。 そして、 「お前なんか甘いんだ。生きるってのは命がけなんだ」 と自分の全てを教えてくる父でした。 だから私はどんな困難でも幸せ。 いつだってそうやって生きてきた気がする。 本当に酷い人でもあったけれど、 お父さんありがとう。 財産=生きる精神力をくれてありがとう。 今日はそんなことを皆さんに伝えたいなと思いました。 みんなのお陰で今生きている。 一緒にがんばりましょう。
2023年5月2日
声のワークの時の羽織もの(^^) トレードマーク♪レザーベスト✨✨✨ 昨年、群馬で出会った、 京都のレザーアートいまがわさんの作品です。 i-ROLLの文字と薔薇をテーマにお願いしました。 皮に手で穴を開けて模様を作り出しているので、光のもとにかざしたたときに、目を見張る程の美しさが心を打ちます。 レザーアートいまがわ https://www.imagawa.co.jp/ 今川さんは80越えられていても元気に全国の催事も駆け回られていて、この様な素晴らしいものも創られています。 最近、素敵なもの生み出される、70代、80代 の職人の男性とのご縁をいただきます。 私のアクセサリーのいくつかもそう。 高崎のジュエリーハウス25の田中さんの作品 とっても気に入っています(*^^*)
2023年4月28日
昔 ずっと何十年も疎遠だった、 余命数ヶ月のおじが、 わざわざ私に聞きたいことがある、 と言って、おばと一緒に会いに来られたことがあった。 ずっと私の目の前でも雑誌のクロスワードパズルだけしながら、こちらも見ずに、おじはこう言った。 「愛子ちゃんなら知ってると思って聞きたいんだけど、人は死んだらどうなるのか、また、死ぬときはどうなるのか」 と質問されたのだった。 私はそれに答えて。 するとおじは、にっこり笑って、 「それで安心した」 と言った。 それからおじは宣告通り、 数ヶ月後に他界した。 どうして人は、 その前に自分のしたことを本当に刈り取る努力をしないのだろう、 何かの誰かのせいにして自分自身だということを真に受け止めないのだろう、、 何度も何度も思ってきたこと。 それぞれの生き様だけれど、 幸せにするのも地獄にするのも、 常に自分です。 何事もそこには正しい努力が必要で、 私たちは魂以外は地球の細胞であり、 みんな借り物である事実を忘れちゃいけない。 おじは恐怖でパズルしか出来なかった様子だったけれど、パズルは何も救ってはくれなかったのだと思う。 死ぬまで勉強ですね。 がんばりましょう(^^)
bottom of page