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2025年1月31日
〜万華鏡〜 先日手に入れたスワロフスキーの万華鏡 それぞれ違う光を覗き 見える世界 こんな風にも あんな風にも そんな風にも 一瞬一瞬 見る角度 見ている光 見ている何か 様々の一瞬でも違い また見る者が違えば 全然違うものがこうして視えるワケ。 ひとつのこの素敵な万華鏡を通して見る世界だけでもこんなに違うんです。 ましてや、 それぞれの眼鏡で見た時には、 そりゃあ収集のつく世界じゃない。 世の中はそういうものだし、 同じ生き方育ち生まれ、一人として同じ人間はいないのです。 だからわかったフリは一番わかっていないし、 どこまで数をこなしたとしても、 毎回新しいんですね。 何をどう思うのか 千差万別 一昨年かな 愛子ちゃんは何も悪くなかった、と 突然お電話がきたことがありました。 親戚ですが頻繁に会う訳でもない数十年の関係の方。 何のことやら、、、 全く身に覚えも悪意を持って何かをした覚えもないので。 どうやら私の身近にそうとうな作り話され続けていらした様子。 数年前にこの方がいくつかのことで、どうしてそんな悪いことを私にされたのか、理解不能だった訳ですが、愛子ちゃんのことをよく思っていなかったから、と仰って。 え? 私は頭の中が混乱する程、 あんな風にニコニコしながらされていたのは全くの嘘だったのか、人間見えて(見せている面)いるのと本当は真逆だったりするけれど、一体何のためにそんなことを何十年もされていたのか、 それまでよくわかりませんでした。 実は私は、こういうお電話を過去何度もいただいていて、その度に同じことを見てきた感でした。 万華鏡で見える世界とおんなじですね🤗 皆さんとも、 オープンハートで前向きに!お付き合い(自分も努力して磨いて)してまた楽しく、お会いしたいと思います😊
2025年1月30日
〜朱に交われば赤くなる〜 ミイラ取りがミイラになっているのと同じく 人間は共振共鳴して生きているので、 それを回避することは普通は出来ません。 それをも包括して善し悪しも超え 中道をゆくことはそうとうな経験と鍛錬がなければ到底、入り口にも達することはない 本当に修行が人生。 どんな「いいと思った」 自身のバロメーターで全ては決まるし どれだけハングリーなのかで どの朱に交わるのか 常に岐路に立たされている。 その朱にはまってしまっているときは、 客観性も持てないので目が開かない。 何言っても無駄💨 だからね 結論は絶対に存在してはいないけれど、 いつもいつも、何故これをやっているのか、 そんなにこだわって、 どうしてなのか、 常に自分に問いかけ発見し改善を自分でしてゆく必要がありますね。 どこにどんな依存心が隠された行動言動だったのか、自分はどんな理想があってそこに向かって正しく努力しているかどうか 自分の生きる貴重な一瞬一瞬を無駄にしていないかどうか 大概は自分の性癖=生い立ちで支配されていますので、そういうものを完全にフラットにしながら現実もそういうものに決別してやるべきことをやる自分にと心を決め、積み重ね、また、大きな目線で自分を見る努力をして改善をしてゆくのがコツですが、これが難しいんですね。 人間はどうしても自分に甘いからですね。 ツケは必ず自分に回ってくるので、 外見だけでなく、中身も同じくらいがんばりしょう。 自分のため なのでね😉 本物の負けず嫌いになりましょう。 今日のお弁当 ミラノ風牛カツレツ エビカツ 菊芋のキンピラ 卵焼き キャベツとトマト 漬物2種 トマトスープ おにぎり昆布 フルーツ(リンゴ、パイナップル、バナナ) 美味しいので満面の笑み もちろん♪ノーファンデ(笑)
2025年1月28日
〜毎日弁当〜 メニューは毎日変えます 煮物(豚肉と根菜) 卵焼きチーズハム 摘み菜のお浸し(群馬は菜っ葉が美味しい) たくあん おにぎりはごま塩と昆布 ワカメスープ コツコツやってたら 気づくことあり。 お弁当作る時のモチベーションや色々も、 他事にも共通している取り組みなんだな、 とわかったりします。 途中で どんな言い訳や理由であっても積み重ねを 辞めるのは簡単ですが、 やりつづけるのには意味があり、 生きること全てのこと、 どこにも容易安易さは存在しないことがわかってくる、、、 ましてや、 公として、となると 余程の覚悟と忍耐(堪え性)が必要で、 それは、どの切り口であっても同じなのもわかってくる。 結婚も、そうですね。 一回して駄目なら戻ってこい (私も言われましたよ) という甘言に惑わされると、 自らが痛い。 そういうことを小さいうちから沢山体験してくると、どんな乱世や状況の中も、 何が大事で自分はどうするのか、 足元も出来ているので動きが違います。 あくまでも その積み重ねを辞めたのは自分であり 親のせい社会のせい様々のせいにしたとしても 悲しみを受け取っているのは 自分ただ一人のこと、だと。 生き様がお顔や動きや現実に直結していますね。 みんなが素敵なケーキを食べている時も、 それをうらやましく見ながらケーキを得ることは叶わず、 空き地で摘んだツクシを煮て食べている時も、美味しいツクシは自分にとってご馳走でお勉強です。 物事を色んな視点で見られて気づけるようになってゆくと、ステージに強い人間になります。 生きる毎日も色んなステージに遭遇するわけですが、いつもそれは、自分であること、が求められている、ということ。 ツクシは出来るだけ蕾のものを、 袴を取って佃煮にすると、とても美味です。 目の前にケーキがあるのに何でわざわざツクシを摘んできて佃煮にしなきゃならないの? と思ったそこのあなた(笑) 大損してますヨ🤗
2025年1月26日
〜言葉〜 真似っ子や誰かの何か じゃなくて 自分がどうしたいのか は、 枯渇した自分からしか生まれない 一番の肝=言葉 自分でやらなきゃ その本当の言葉は出てこない 頭使ってるうちは それはただ評論しているに過ぎず 言うのとやるのと大違いがあるのです わかったふり と わかる のは別です やれるかやれないか やらせると現実がある 超一流の演奏 凄ければ凄いほど 簡単そうにみえる けれど やればわかるけれど そんなことは真逆で 形真似しただけのまねこさんだったりする よく昔 マリア・カラス風の歌い方をお見かけしたけれど 風だったな と 本当でなければ 自分も潰れるし 何れやる意味もわからなくなる 言葉は 自分で自分の足でやっていなければ 出てくることはない もう一度言うけれど 評論は今ここに解説した その言葉 じゃない 音楽って そういうもの 生き様でしょうね
2025年1月13日
〜原点と正しい歴史をつかむ〜 作曲家の意図、目的、指示等に 忠実に取り組み再現を志すこと 何の分野でも共通していること。 時代が、流れが、、、 柔軟であることと基本が無いのとは、 全く別の話しです。 自己流が一番無駄なことかもしれません。 ただオリジナルの新しいものであれば、元祖ですから、まあ、いいかもしれません(笑) しかし、土台無きもの無駄につながり、 後ろを振り返れば、、、後悔しか残らない。 どこまでいっても正しい歴史は掴みきれはしないものですが、しっかり残っているのに知らなかったで土足で踏みつけていても、ただアホなだけで恥ずかしい。 だから足を使ってお勉強をする意味がそこにあり、常にそこには、そうだったのか!があり、 感動が伴う。 その努力に「効率」がプラスされることも必須。 誰のためでもない 自分のため 裏付けはそこにしかない。 機械が、誰かがやってくれることに価値は無いし、完全に命に関わることと直結している。 つくづくそういうことを身に沁みる2025年の年初です。 いつでも動機は枯渇した何かからしか始まっていないもの。 だから素晴らしいし、 それこそが生きる本質だと思います。 依存したり言い訳したり、、、 そういうのは今、やめればいいだけ。 自分を大海原の真ん中に立たせて、 波の荒さも自然の脅威も存分に味わいながら、 奮い立たせ道を自分でひらくのが、 大和魂であること。 日本人としての誇りですね。 血はもちろんのことですが、精神、ですね。 これ、下から産むと完全にそうだとわかるわけで実践した母親は知っていますよね。 入ってるものは出すしか道はないですから。 戻したり取り出してもらったり全ては出来ないことだと悟るんですね。 自分でやるしかない そのためにどれ程正しい努力をしたのか、 ステージは誤魔化しのきかない真実の場、ですね。 今年もお勉強しましょう。 自分の思い込みだった自己流に気がついた時、 ほんの少しだけ進歩があるかもしれません。 コツコツやりましょう。 玄関扉の飾り(手作り♪) レッスン、本年も丁寧にさせていただきます。 皆様お待ちしております。
2024年12月28日
〜テーマ全二日 最終日〜 全て受け止め受け入れ サニワの完全なる心身で導き出す これね、 同じものを味わいます。 毎回本当にキツすぎる味わいで 悲しみしか無いのが現状ですが、 命がけでいつもさせていただきます。 子供を下から産んで育てるということ等しく、 親子共々常に死と隣り合わせ。 そこに甘さは一切許されないんですね。 これは現実ですから、 仕方ありません。 やった者しかわからないこと。 女性は過去、こんなに自分とも周りとも、 どんなに虐げられても挫けず道をひらいてきました。 自分はどうなのか 常に問いただされ 今日、今を足元の小石を本物の土台を積み重ねる真に地味で忍耐の作業をします。 なぜなら 「感謝だから」 音って正直です。 どんなに隠しても 超絶技巧で目眩まし、 様々のあらゆる手を使っても 丸見えなんです! 怠惰ですとそれが見えません。 しかし その怠惰の輪は往々にして(優しいかもしれませんが)溜池地獄。 人からの賞賛など全く意味にもならず 解決にもならず 最終的には完全にシワシワになり やれない自分が待っているだけなんです。 やり方を真似して賞賛受けて あなたのおかげです とおっしゃった方、沢山いらっしゃる。 けれどそれはやはり ただの美味しいとこ取り足元の無い(基礎がない)一時の表面であり、 本当は大損しているのが現実です。 様々の自分の体験が人生を豊かにします。 逃げても お病気が待っているだけ それだったらしっかり痛い思いをして 前進した方がいい、というより、 それ以外に方法は無い。 何故なら、 自分だけ地球の動きと反対だったり阻止(停止)したりしてやれることは無いから。 自然の摂理ですね だから私も頑張ります。 自分のために♪ 生まれてきた真のやるべきことをやります。
2024年12月27日
大晦日に向かって年内に今日と明日、 これをやれてよかったとつくづく感じてます。 親が居ても居なくても 捨てられた子の悲しみは細胞が刻んでいて、 感情も苦しさも突き放されたその何かは、 その後の在り方に強く反映しています。 大事なのはptsd含めたそれらを完全にフラットにすること 歯を食いしばって形をやってきても、 そこを日々アプローチしないと結果はダサ過ぎて 脱ぐ時にはどうなることやら。 この命というもの自分授かり体験をして その本質をやらなかったら、 後悔と不毛しか残らないのね。 欲でまかれ(体がなってない上ずった体型と使い方、これ象徴的) 私もね、20代で改めました。 媚と色気は品が無いとね。 (そうじゃないと男性社会のこの世の中、翻弄、お病気、とっても不幸に) 何回も指摘され、 生き方や考え方もアナログて変える努力を重ねてね。 素直であること 謙虚であること これ 私もちゃんとやろうと思います。 外側に出している意識では、 それらとは全く逆になる。 20歳までの私の歌はもちろん、そう。 それで大学で首席を取ったものだから、 そうじゃないことを、榎本玲子先生のレッスンで完全に声を取られた時のプライドやら何やらの喪失は、私にとって、完全なる財産でした。 その後の同じくピアノでの体験が数年前にあり、 どれ程ありがたかったことか。 膝が立たないってああいうことを言うんだな、 本物の挫折は新たな希望なのね。 くされたり恨み寂しさでベクトルが違う方に向くとろくでもない。 大損します。 クラシック、エンタメではなく芸術です。
2024年12月19日
〜人は心〜 年末になると尚更、 心の大切さに有り難みを感じるものですね。 心の尽くし方は人それぞれですが、 それは愛の深さ、そこに基づくそれぞれの在り方でそれぞれに違いがあるものです。 究極の自分本位であること=自分を真に大切にしていること このレベルで色々変わってくるんですね。 真に自分を大事にする これは深いです。 どこを目指してどうしたいのか 主体は常に自分であって 外側に投げるのも外側のために、 というのも薄情であること極まりない。 あなたのためを思って この言葉、体良く便利で好印象ですが、 よく見極め、 自分を真に愛してくれているのか否か、 自分で見極めていかねばなりません。 もし仮にその見立てが間違っていても、 いつも受け取るのは自分自身。 他の基準やらバロメーターなど、 「無い」んです。 黙っていても、人は怠惰で自分に甘いものだということを、どれだけ自覚して本物の忍耐と愛を自身に与えられるかどうか。 常に目線は自分であり、 そこを稼働させ、 それが発信(音)される流れです。 発信に意識を向けてやりますと、 エネルギーは消耗され、 いずれ自分本体はもぬけの殻となります。 燃え尽き何とかもこういうサイクルで起こるんですね。 呼吸は引き寄せ膨らませてまるで水鉄砲の様に出てゆく(出してゆくもの) このやり方だとどんどん拡大して進化できるので、常に勝ちます😊 現代日本人は生活様式、言葉の発音、様々の環境からも大体の方が、呼吸が真逆です。 呼吸は全て。 これから益々酸欠の地球ですので、 正しいトレーニングが必須です。 そのやり方を教えています。 呼吸が正しい方向でこそ 心を尽くすこともできて、 ついては自身が幸せになれる。 今日も一緒にそれを学び自分のものとしてゆきましょう。 上里パーキングエリアのかわいいクリスマス ここで売ってる私の大好きなおせんべい ここに寄るのも今年最後ね💓
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